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【本紹介】山本文緒著『恋愛中毒』にみる「危ない女」の傾向

Date:2012.11.09

恋愛小説の最高傑作である『恋愛中毒』。吉川英次文学新人賞を受賞した山本文緒さんの作品をお読みになったことはあるでしょうか?文庫本の初版は平成14年ですから、今から10年以上も前の作品になります。筆者が手に取ったのはちょうど大学生の頃だったでしょうか。

あの頃、あまりにも衝撃的な内容に、ある種のショックを受けたのを覚えています。最近、ふと読み返す機会があったのですが、当時とは違う感情を抱く自分が居ました。むしろ主人公の狂気に共感さえ覚えてしまったのです。

人を愛することを知ってしまったんだ、と感じました。あなたも、主人公である水無月のような、いわゆる「危ない女」になってしまう傾向があるかもしれません。

恋愛中毒 -概要-

この物語は最初に、ある編集プロダクションに勤務する男性の語りから始まります。彼は勤務中に、いきなり押しかけてきた元カノとの間でひと悶着あったのですが、それを機に、事務員のおばさんの独白を聞くことになります。

この事務員のおばさんこそ、物語の主人公である水無月です。男性の語りから察すると、水無月は40歳を超えた地味な独身女です。物語はやがて、過去の水無月の視点へとシフトしていきます。

夫との離婚、水無月が長年ファンであった作家創路との出会い、そして彼との愛人関係。離婚の痛手から、もう二度と他人を愛しすぎないと誓った水無月。どこにでもいそうな、恋に不器用な女性として描かれている水無月に、私たち女性は自然と気持ちが入っていきます。

しかし物語を読み進めていくにつれて、後半、水無月がかなり重度のストーカーであるとわかってきます。結婚する以前から、また結婚してからも同じ過ちを繰り返し、そのストーカーの容疑で執行猶予中にも関わらず、またも犯罪に手を染めてしまうのです。

その展開は実に巧妙で、水無月の狂気に対する不気味さや恐怖がじわじわと入ってくる感じは、文章ではなかなか説明ができません。そして、怖しいのに、決して正気の沙汰ではないのに、多くの女性読者が自分のことのように共感できる部分があるのです。

こうして過去の物語が終わり、現在へと戻ります。しかし、読者は最後の最後に、水無月の中毒症状はなお続いているという事実を知り、二重の恐怖を味わうことになります。

恋愛中毒症状 ①

「どうか、私。これから先の人生、他人を愛し過ぎないように。私は好きな人の手を強く握りすぎる。相手が痛がっていることにすら気が付かない。だからもう二度と誰の手も握らないように。」

前半部分の印象的なフレーズです。離婚届を出しに行った帰り道の、水無月の心境が窺えます。一見すると、潔くも思えます。

しかし「私が私を裏切ることがないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。」というその後に続く思いは、人を愛しすぎてしまう自分への戒めであり、そう祈り、誓うことで、感情を一時的に押し留めただけに過ぎないように感じます。

現に、その後出会った創路に対して、今度こそは大丈夫だ、という根拠のない自信を持つのですが、結局のところは創路に対する愛情で、他人を愛する喜びを再び感じてしまった水無月は、前夫への愛情までも呼び起こすことになるのです。

恋愛中毒症状 ②

「特別だと思っていたのは自分だけで、救われていたのは私の方だけだったのかもしれない。」水無月は、自分を世界の闇から救ってくれた前夫との出会いを奇跡と信じて止みませんでした。こんな自分にも他人を愛することができるのだと気付いてしまったのです。

しかし、夫を失った時、彼女はこう思うのです。「出会わなければ良かった、闇の中で生涯を終えた方が楽だった、希望を持ってしまった。」と。

「どうして失ってしまったのだろう?私には今でも分からない。」また裁判では、「悪いのは私だけだろうか?」と釈然としない思いが彼女の中で存在しており、実際は反省の感情はありませんでした。

そして創路との関係が危うくなった時も、「釈然としない、理不尽な悲しみに押しつぶされてしまいそう」になるのです。愛し過ぎてしまうこと、その感情が自分も相手も苦しめることがわかっているのに、彼女の中ではそれが伝わらず理解されないことが、そもそも理解できないのです。

恋愛中毒症状 ③

「私はこの人にどうしてほしいのだろう。そして私は他人からどうしてほしかったのだろう。愛しているから期待するのか、愛しているからこそ期待しないのか。どちらも正しいことのように思えたし、どちらも間違っているようにも思えた。」

期待しても報われないことを水無月はわかっているのですが、“愛していることを信じないこと”を水無月はしていないように思います。どうしたいのか、いや、どうするべきなのか…。この「Should」は、とても危険なのです。

恋愛中毒症状 ④

「それは私からは絶対に裏切らないという忠誠で、忠誠など誓われたことのない先生には救いだったに違いないと確信してきたのだ。」愛人たちがしてきたように、執着しない、依存しない、嫉妬しない、全体重を預けない、ということを水無月は選択しなかった(できなかった)のです。

水無月には、前妻や妻や愛人たちよりも、おそらく自信がありました。しかし、創路の実の娘の登場で、簡単に関係は崩れていきます。やがて水無月の表現が、先生の「興味を引く、感心を引く」という言葉に変化しているのです。

「私がしてきた努力は何だったのだろう。先生の言うことを何でも効いてきたのは先生を甘やかしたかったからだ。甘やかして甘やかして、私がいなければ何もできない男にしたかったからだ。」おそらく前夫へも、こうゆう類の愛情表現をしてきたのでしょう。

水無月は再び同じことを繰り返しています。自分の愛情が、相手に必要不可欠なものになることを信じているのです。水無月は、結果、罪を犯します。しかし、彼女のこうした思いに共感できる部分があることに、皆さん驚くことでしょう。

女性読者たちには、まるで水無月が代弁者のように写ります。女性は誰しも、中毒症状の中にあると思います。水無月はただ、それを不器用な形でしか表現できなかったに過ぎません。禁断症状を避けるかのように、私たち女性は、恋愛を繰り返すのかもしれませんね。

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