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賢い女性の戦わない生き方に学ぶ、人にも自分にもやさしい在り方

Date:2015.11.08

shutterstock_258722450 - コピー

癒し系の男性が人気なのも、癒しスポットが好まれるのも、それだけ現代の女性たちが疲れているということではないでしょうか。多忙であることもそうですが、精神的にぐったりと疲れている人も多いのでは?

人は日々、いろんなものと戦いながら生きています。男たちは厳しい社会と戦っているのは自分たちだけと思いがちですが、女性だって戦っています。

でも、ふと周りを見渡したとき、時に「戦わない」人を見かけます。彼女たちは戦わないので心に余裕があります。戦わないのにすべてを手にしているかのように満ち足りて見えます。どうすれば彼女たちのように生きられるのでしょうか。

「戦っても意味がない」と気づいて、遠ざけて

賢く生きる女性は、戦っても意味がないものとは戦いません。ですが、多くの女性たちは戦うだけムダと思われることにも、日々ファイト状態!

  • 意見や価値観が対立する相手とのいざこざ
  • 「みんなより幸せになりたい!」幸せの競い合い!
  • 自分を過大評価!自ら生み出した「虚像」と勝てるはずのない戦い!

人を疲れさせ、落ち込ませ、幸せから遠ざけるこの三つの大敵。これらを遠ざけることができるなら、毎日がもっと穏やかで余裕があるものになるはずです。

「意見の対立」「価値観の対立」静かな戦いは日常茶飯事

人は自分の中に、自分の考える常識やルールを持っていて、それにそぐわない行動を取る人を「非常識」と感じたり、腹立たしさを感じたりします。相手の立場が自分より上で逆らうことができない場合は「理不尽」と感じ、心にモヤモヤや不満が溜まっていきます。

大きな戦ではないけれど…日々ジワジワと疲弊させる心の戦い

非常識な振舞いをする人、自分に不利益をもたらす人、意見が対立する人を、人は簡単に受け入れることができません。

もちろん、面と向かって言い争うことは、大人になるとそうはありません。社会的立場というものがあり、争いを避ける日本人の気質というものもあります。

ただ、表面上の争いを避けたとしても、心の中の戦いは終わってはいません。むしろ、面と向かって立ち向かえない分、心の中では血気盛んな細胞たち(?)が、やり場のない怒りに震えることもあります。

好戦的な相手に一方的にやられて帰ってきては、傷が癒える間もなく、次の戦いに挑まなくてはならないこともあります。

「我慢」も「防戦」という名の戦い!我慢していても戦いは終わらない!

自分の思い通りにならないのが人であり世の中。価値観やルールは人によって違って当たり前。そう思って我慢しているという人も多いでしょう。でも、我慢している時点で戦いは始まっているのです。

  • 我慢=敵からの攻撃を受けている状態。防戦一方だけれどこれもまた戦
  • 「我慢=心からの納得ではない」ため、相手にもその思いが伝わってしまい敵意を持たれてしまう

「心から納得すること!それが解決策です」と言ってしまえばそれまでですが、そうそう納得できるものではありませんね。では、どうすれば戦わずにすむのでしょうか。

戦わないということは、無駄に感情を動かさないこと

戦いも人によってさまざまです。本当に相手が横暴な場合もあれば、自分の考えが偏りすぎていることもあります。

大事なのは、対立が起きた時、相手からの攻撃を受けたとき、心への侵入を許さないことです。まずは、頭で処理すること。戦わない女性が賢いのは、まず頭で考えることができるからです。

頭で考えるということは、自らが当事者でありながら客観視するということ。

  1. 相手の言い分を受け入れることができないか、客観的に考える
  2. 自分の考え方に偏見・謝り・誤解がないか、他人の意見を聞いてみる

まずはこの2ステップです。

意見を聞く相手は

  • 客観的な判断ができる人
  • 感情的ではない人

が望ましいです。この段階で相手の言い分に納得がいくこともあります。感情論を抜きにすれば話は簡単であることもあるのです。

相手が感情的でどうしようもないときは「スルー」が得策!

相手が感情的で好戦的で冷静な話し合いができない場合は、応戦するでもなく防戦するでもなくスルーしてください。

一方的に考えを押し付けられたときには「わかりました」とニッコリです。

「納得していないのにニッコリはできない!」という意見はごもっともですが、この「わかりました」は、相手の意見を納得するという意味の「わかりました」ではありません。「あなたがそういう意見であることはわかりました」という意味の「わかりました」です。

意見の押しつけではなく、何かを要求された場合は、「できかねます」とションボリです。できない理由は自分の力不足など、「イヤ」ではなく「ムリ」を主張してすまなそうにションボリです。

大事なのは、嫌な顔、ムッとした顔など、嫌がっているということを相手に覚られないこと。何を言われても「そうなんですか」「そういう考え方もあるんですね」とニッコリ。上手にかわしてください。

「わかりました」や「できません」は負けを認める言葉ではありません。しぶしぶ言わされるのと、戦いを避けるために上手に使うのとではまるで意味が違います。背中を丸めず、下を向かず、凛として使えば、優しい響きの素敵な言葉になります。

幸せを人と競って勝利しても幸福感は得られない!

敵対する戦いではなく、競う意味での戦いもまた、多くの女性を悩ませているのではないでしょうか。

たとえ仲の良い友達でも…「私の方が幸せだと思いたい」

もちろん、友人の幸せは願っている。でも、私の方が幸せだと思いたい。そんな複雑な心を持つ女性も多いのではないでしょうか。

「やりがいのある仕事をして輝きたい」
「すてきな彼氏を見つけたい」
「幸せな結婚をしたい」
「やさしい家族に囲まれて幸せな人生を送りたい」

誰もが思うことで悪いことではありません。文頭に「○○ちゃんよりも」がつかなければ。

誰かと比較して、「○○ちゃんよりもすてきな彼氏」「○○ちゃんよりも幸せな結婚」、そんな風に誰かと競うことは意味のないことなのです。

勝手な思い込み!競っている相手は実はそんなに強くない!

幸せは人と比較して得られるものではないのに、どうしても周りの人の幸せが気になってしまう。そして、友達のFacebookやTwitter、ブログなどの幸せそうなコメントや写真を見ては落ち込んだり、負けん気を出したり。

でも、そうやって戦っているのは本当の友達の姿ではありません。幸せそうな写真、コメント、謙遜しつつも自慢の入ったおしゃべり。それらはほんの一面。それももしかすると、見栄やプライド混じりかもしれない情報だから。

自分が満たされていないときほど、楽しそうにしている人の姿は眩しく見えるもの

人と競うよりもまず、今の自分に何が足りないのか、自分は何を求めているのか、自分と向き合うことが大切なのです。

最大の敵は自分が作り上げた「虚像」!それは無謀な戦い!

「私はまだまだこんなものじゃない」、「自分はもっとできるはず!」。そんな風に今ある自分では満足しきれていない人もいると思います。

自分を成長させるために、少し上に目標をおいて頑張るという意味では決して悪いことではありません。

ただ、自分を必要以上に過大評価して、そうなれない自分にイライラしている状態であるならば話は別です。

「私を諦められない」症候群?

子供の頃や若い頃は自分の可能性は未知数。夢も希望も膨らみます。それが成長とともに、自分の実力や性格や現実が見えてきて、無謀な夢は描けなくなっていきます。

それが「大人になる」ということでもあるのですが、中には現実を見ても、自分の実力を知っても、「いや、でも、まだわからない」とジタバタし続ける大人もいます。

かくいう私もそのうちの一人なのですが、自分も含めそういう人たちのことを「自分を諦められない人」と呼んでいます。もっと頑張れるはずの自分、もっと高みを目指せるはずの自分がいるはずだ、と諦めきれていないのです。

それはありもしない自分。自分の描いた虚像を追いかけて、必死に追いつこうとしているわけですが、その姿が真の自分の姿とかけ離れているほど、勝ち目のないレースとなります。

不満や疲労感でいっぱいならば、もう無理に追いかけない!

頑張っても頑張っても追いつけないほどの「自分」ならば、もう追いかけない。努力することや成長することは大切ですが、毎日が疲れてしまっては台無しです。

それとは別に、自分をうんと過大評価していながら、それに見合う努力をせずにダラダラと後を追う人たちもいます。疲労感はありませんが、理想の自分と今の自分のギャップに不満が募り、自分や周囲にイライラすることに。

どちらも毎日を楽しく、幸せに生きることはできません。どこかで、「もう追いかけるのをやめよう!」と決意する必要があります。挫折ではありません。今のままの自分でも十分素敵だと認めてあげるのです。

例外もあります。

  • 自分を決して諦めることなく頑張り続けることがライフワークになっている人
  • 疲れや不満などなく、その努力の過程を楽しめている人

毎日が楽しく充実しているのであれば、取り上げる必要などありません。

戦うことに不向きな日本人なのだから、平和にやり過ごして

日本語はとても曖昧な言語だと言われます。はっきりとしない言い回しが多く、受け取る側に解釈を委ねる性質もあります。

それが原因で誤解が生じることも多々ありはしますが、本来は、曖昧さを残すことで人と直接ぶつかることを避ける、争いを嫌う言語。日本人は戦うことに不向きなのです。

戦わない女性たちのように、日本語のその特性を上手に使い、人にも自分にもやさしく接していきたいですね。

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