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夢無し、希望も無し!そんな自分を変えたい女性に送るライフスタイル提案

Date:2012.08.07

初対面で「趣味は?」と聞くのはなぜ?

合コンでも友人の紹介でも、初対面の人に最初にぶつけられる質問はだいたい「仕事は何をしていますか?趣味は何ですか?」この二項目なような気がします。

一番当たり障りがないようで、本当はそう聞かれても何と答えたらいいのかわからない、という女性も多いのではないでしょうか。

特に近頃は、相手の仕事よりもプライベートの方が重要視されるようで、充実した休日を送っている女性がすばらしいかのような情報が多く飛び交っています。

だけど私、仕事が忙しくて休みの日は寝てばかりなのよね~という女性は大勢います。一人暮らしの女性であれば、休みの日は掃除や洗濯、病院、支払など、いわゆる用を足すことで時間を使ってしまうという人も多いでしょう。

しかしそんな実態を初対面の人に堂々と答えることはまずありません。映画鑑賞なり音楽鑑賞なり、実際はさほど好きではなくても何かしら適当な当たり障りのない趣味を自分のプロフィールとして持ち合わせていることも多くあります。

そうなってくると、この「趣味は?」という質問はさほどの意味を持たなくなってきます。この際いいじゃないですか、「趣味は特になし」と堂々と言っても問題はないのでは?などと思ってしまいます。

そもそも本当に趣味がないからといって、日常が寂しい、つまらないものなのかと問われると、決してそうではないと思います。

何かしらの趣味というプロフィールを持ち合わせていないと日常を楽しめないという人よりも、趣味なんてなくても毎日楽しい!と思える人の方が素敵に感じませんか?

今日という日は二度と来ない

当たり前のことですが、今日のこの時間は、今後絶対に戻ってくることはありません。時間はすべての人間に平等に与えられた自分のものなのです。

その時間を、仕事などのお金を生み出すことに使ってもよし、レジャーでリフレッシュすることに使ってもよし、ぐーたらな一日を過ごすことに使ってもよいのです。

なのになぜ、その時間の使い方の良し悪しを他人に決められなければならないのでしょうか?一体、どういう視点から見て、この人の時間の使い方はすばらしい、輝いているなどという判断をしているのでしょうか?

それはなんとなくのイメージです。休日は何をしているか?という質問を投げかけて返ってきた答えが自分と似たり寄ったりの感じだと親近感を覚えて話が弾む、そんなことをなんとなくイメージしているからそういう質問ばかりになるのです。

履歴書などにも趣味を書く欄があったりします。それだけ趣味はその人の内面を現すものとしてとらえられているということです。

しかし実際はどうでしょう?趣味の欄に映画鑑賞と書けば「どういった映画が好きですか?」という質問が投げかけられるでしょう。

それに対して本当はホラー映画が好きでも殺人ものが好きでも、きっと誰もがいわゆる相手受けしそうな映画のタイトルを答えるでしょう。

言い換えれば趣味など簡単に作り上げることができるということです。私が入社試験を受けた時、「あなたは自分がこの会社に必要な人間だと思いますか?」という質問をされました。

私の履歴書には一切触れず、その質問を最初にされた時、もし入社できたらこの人の話はよく聞くようにしようと心に決めました。

世の中には、人様の受けがよいプロフィールを持ち合わせていなくても、自分をしっかりと見て評価してくれる人もいます。

何もキラキラ輝くようなポジティブなプロフィールでなくても、その人自身が持っているオーラでリア充たちを蹴散らすことはできるのです。

気が向くままに生活してみよう

特別な趣味がなくても、毎日を楽しむためには、気が向くままに生活してみることです。掃除は毎朝○時にする!と決めなくても、汚いなと思ったところがあればその時に掃除する。

休みの日、朝起きても眠ければ二度寝してみる。お腹が空いたなぁと思ったらご飯を食べる。もちろん、状況が許されるのであればという部分は否めませんが、肩の力を抜いたルーズな美しさというものも女性には必要です。

そこから余裕が生まれて、ガツガツしていない穏やかなオーラが出てきます。休日や仕事終わりに目いっぱい予定を詰め込んでいると、自然と時間に追われる生活になってきます。

時間を追っている女性は素敵に見えますが、追われればただの余裕がない人です。人に誇れるものがない、なんて言わずに、毎日をゆったりとある意味気ままに過ごしてみましょう。

夢や希望がなければ生きている価値がない?

なぜこんな風潮になったのでしょう?それは世の中があまりに裕福になりすぎて、日常生活は格段の努力をしなくても送れるようになったからです。夢や希望は見つかれば儲けもの、見つからなくてもいいものです。

夢や希望を実現するためには捨てなければいけないものが多々あるのです。昔の人は、夢や希望の前に今日生きて行かなければならないという現実がありました。そういう人たちのことを誰も生きている価値がないなんて言いませんでした。

日々の生活が食べるためであり、そこに夢や希望があるかと問われれば、ないと答える人も多くいたかもしれません。

それでも土を耕す人たちの顔はいきいきとしていたはずです。差し迫った現実の中でも、夢や希望を持ち、それを実現した人たちもいたでしょう。それはそれで一つの生き方、と割り切っていたのがその時代です。

しかし現代は、夢や希望を持たなければならない、という半ば義務のような形で教育がなされています。

昔の人たちがいきいきとしていたのは、夢や希望がなくても目的があったからです。生きるという大きな目的を達成するために努力をしていたからです。夢や希望を持てなくても構いませんが、目的は持つ必要があります。

目的さえ見失わずにいれば、毎日が楽しく輝いたものになるでしょう。

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