語学ができれば人生変わる!? 世界を広げたいあなたに
近年、街中を歩いているいて思ったことありますよね?なんか外国の方増えているなぁと。見知らぬ人によくわからない言葉で話しかけられ、道を聞かれているらしいくらいしか理解できず、笑ってごまかし、そそくさと立ち去った経験のある人もそこそこいらっしゃることでしょう。
そして外国語を話す日本人、またはよくわからなくとも数か国語を話しているらしい外国人に思わず尊敬と羨望の目を向けてしまったことは誰しもあることでしょう。
グローバル化が叫ばれる現代、外国語もできたほうが有利だとは大半の人が感じたことがあることでしょう。
語学の才に恵まれているように見えるバイリンガル、マルチリンガルに成り得る環境に生まれ育った人を羨んだこともあるでしょう。
と思ってひがんでいると、中には海外にはなんていったこともないのに、英語ができる人がいたりもします。
まったく羨ましい限りですよね。語学の才能がある人なのか、語学にかかわる仕事をしていたからなのか。はたまた外国人のパートナーがいるからなのか。
秘訣があるのならぜひとも知りたいと思ったことはありますよね。
語学はできたほうが絶対オトクなのは周知の事実
今の世の中、例えば、英語力必須とTOEICスコア○○以上なんていわれる場が学校でも企業でもあるくらいです。
これでは「語学はできたほうが良い」どころか、場所によっては英語ができないことがハンディにすらなりかねない様子です。語学ができた方がよいのは次の理由だけでも十二分ですよね。
仕事の選択幅が広がる
例えば、英語ひとつができるか否かでも、就職や転職の際に、応募先が国内企業オンリーか、外資系企業もターゲットになる得るか、または海外も就職先に含めることもできるかなど、幅が広がります。
非正規の派遣やアルバイトでも、要英語力とされているお仕事の方が自給単価が高めの傾向があります。
取捨選択できる情報量が増える
インターネットの普及により、世の中はとても便利になりました。
ちょっと検索すれば知りたいことの大半は、何らかの形の答えが上がってきます。
ですが、たまに思ったものに巡り合えないないこともあります。そのような場合でも英語で同様に検索してみると、また違ったものが出てくることもあります。
日本語のサイトだけでは載っていないような記事が出てくることもあります。それがまたとても貴重な情報であることもあります。
このように、扱える言語が母国語だけでなく、英語、その他外国語と増えていくにつれ、」入手できる情報量は格段と違うようになってしまいました。
語学次第で自分が取捨選択することのできる情報量をぐんと増やせるか否かになってきてしまうのです。この差はインターネットの手軽さの影で広がる一方になってしまいました。
人の付き合いの幅が広がる
今、英語を、母国語として、公用語として、そして外国語として、話す人の数は20億人になると言われています。
地球上全世界人口は2015年時点で75億人と言われてます。つまり単純に計算すると世界の25%以上の人は英語を話すということになります。一方で日本の人口は1億3千万人を下回ります。
人口だけで単純に比べて、私たち一人一人がそれぞれ何億もの人と知り合い、付き合いができるなどということはもちろんあり得ません。
ですが、語学ができるか否か、英語ひとつで比べてみても、会話が成り立ち、何らかの人間関係を築いていくことが可能な相手の数が何十倍と違うことはわかっていただけるでしょう。
英語という語学のツールがあるか否で異文化交流の候補者の数がこれだけ違うのです。
これは何も友達や知り合いの多さを競おうというものではありません。ただ付き合うお友達の選択肢の幅が広がるのです。
趣味が広がる
さて、私たち日本人が母国語以外の語学ができた場合、付き合える対象となり得る人の数は何十倍となることが分かりました。
そして今ではインターネットやソーシャルメディアを通じて、様々人とチャットや語り合うことができます。各種コミュニティは同じ興味を持つ人の同好の会。
日本語サイトだけで飽き足らない方が外国語もできれば、当然他国語サイトで趣味や嗜好について語り合うこともできますし、他国語サイトでしかないようなコミュニティにだって参加することはできます。
それだけでも、明らかに人生の幅が広がりますよね。
さて、語学ができるかできないかで、自分自身が選択できるものがこれだけ変わってきてしまいます。
特に、インターネットやSNS の発達で、例えば英語ができるかできないかだけで、これだけ世界も選択オプションも変わってしまうのです。
仕事でも趣味でもはたまたパートナー選びでも選択肢を広げることができる語学。どう考えても語学ができた方が豊かな人生が待っていそうです。
語学は今からでもできるようになる?どうやって?
何事でもはじめるのに遅すぎるということはありません。
ずばり気の持ちようとやる気だけです。海外に工場を建てたからという理由で、60歳を過ぎてから英語の勉強を始めた会社の社長さんを知っています。
最初の頃は通訳さんをつけていらっしゃいましたが、70歳を過ぎた今、通訳なしにご自身で海外の業界会議にまで参加され海外の競合会社の重役方とお話されています。
人間に不可能などないのです。
問題はどうやったらいいかですね。
自分の特性を知ろう
語学に限らず勉強のやり方というのはまさに十人十色です。自分に合ったやり方でやれば、何事もめきめき上達します。
例えば、TestJPというサイトがあります。
こちらは元々、コーチングを受ける、または行うにあたって自分の、または相手のタイプを知るというのが目的のタイプ分けテストが何種類もあるサイトですが、この中に、「優位感覚チェック」というのがあります。
※無料ですが利用には会員登録が必要です
引用…私たちは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の5つの感覚を通して世界を認識しています。
しかし人には、その中でも特に優位に働く感覚があり、これは人とのコミュニケーションにも大きく関わっています。
自分にとって優位な感覚がはっきりすると、自分がどのようなコミュニケーションを好むかが分かります。
Test.JP「優位感覚チェック」
まずはこちらのテストをやってみて自分の感覚、視覚、聴覚、触覚などですが、どの感覚が自分の中で優位なのか測ってみましょう。
この、優位感覚を知ることで、自分が何かを学習するときの効果的な勉強の仕方を選択することができます。
有料の「学習スタイル」というテストもあります。
こちらであれば、より詳細な勉強法の提案がありますが、まずは優位感覚チェックだけでも十分かと思われます。
ここで自分が聴覚優位なのか、視覚優位なのか、触感覚優位なのか、言語感覚優位なのかでより適した勉強法を選ぶ目安ができます。
本を読むことで語彙を増やし、語学を習得する人もいます。辞書の丸暗記で語学を習得する人もいます。自分に優位感覚を知り、自分に最も効果的な学習法を選べばよいと思います。
語学の才能が欲しい、帰国子女が羨ましい
誰でも一度や二度、思ったことがあることでしょう。
「あぁ、親が駐在員とかで帰国子女だったら、語学なんてフツーにできてたかもしれないのに・・・」とか、「語学の才能があれば人生違っていたのに…」とか
才能がないと語学はできるようにならない?
才能がある人というのはいます。
サクサクと次から次へと外国語を学習できてしまう人もまれにいます。しかし、大半の人はそこそこ勉強して身に付けています。
前項で英語を話す人口は約20億人と説明しましたが、そのうちのネイティヴスピーカー、母国語が英語の人はたった4億人ほどです。
残りの16億人ほどの人はみな、公用語、または外国語として英語を身に付けた人々です。彼らが全員語学の才能があったとは考えにくいですよね。
つまり語学の才能はあればラッキー、ただしなくとも必ず語学はできるようになります、
独力で語学を習得した人々
海外になど一度も行ったことがないのに、英語を操れてしまう人がいます。受験勉強の結果読み書きならできるだけでなく話すこともできてしまう方です。
「語学の才能のある人」なのかもしれませんが、このような方のお話を聞いても、皆さん、自分なりの勉強法をお持ちです。
通学電車の中でひたすら辞書をまる覚えした人、FENなどをひたすら聴いているうちに話せるようになっていた人、それぞれ千差万別です。
ただし共通している点はひとつ。
皆さん、そのやり方でこつこつと続けた結果、英語が話せるようになっています。つまり、自分に向いたやり方で継続すれば語学はできるようになります。
第二、第三外国語の限界
何か国語か話せる羨ましい人と思ってハーフの方を思い浮かべる人もいるでしょう。
国際結婚のカップルの子供で家には常に2か国語が飛び交い、自然に二カ国語ができるようになる人。
羨ましい限りですが、意外とハーフの方で2カ国語(以上)を駆使して活躍している方はその中でも決して多くはありません。 何故でしょうか。
人はまず母国語の能力をあげる必要があります。
単純な会話から深く考えるための言語操作能力、ひいては思考力を身に付ける必要があります。
そのためには確たる母国語で身に付けたほうが確実なのです。
2ヵ国語以上の環境にある場合、その確たる母国語がどれなのかあいまいなまま、思考用の言語能力がどちらでも十分に育たないこともあるそうです。
第一言語である母国語の能力がその後の第二、第三外国語の能力にも関わってくるため、確固たる第一言語の母国語があることはとても重要です。
今、外国語ができたら・・・と考えている皆様はすでに確固たる日本語力をお持ちのはず。この点で揺らぎないものがあるのはある意味強みですね。
この日本語の能力も語学力であり、外国語習得するにあたって、子の母国語の力を超えることはないと言われています。
つまり、外国語ができたら…と言っても上限は日本語の能力。
外国語ができてキャリアにも生かす等、思うのであれば、これは日本語での扱える範囲、分野、思考力もある程度ないといけません。
普段から新聞を読み、時事や経済などにも通じるようにする、読書などで知性や教養を高めておいた方がよいでしょう。
なぜ語学ができるようになりたいのか?必要か目的を作る
漠然と語学ができた方が人生はおトクという概念から始まった、「どうしたら語学ができるようになるのか?」という問いでしたが、「語学ができるようになる」という抽象概念だけでなく、「語学習得」のための必要か目的を作りましょう。
漠然と「英語ができるようになる」と思っているより、具体的な「○○をする」ために「英語ができるようになる」と語学習得が目的であるよりは手段であった方が、よりモチベ-ションも上がることでしょう。
このような必要も目的も自分で作ることはできます。
そして自分の必要と目的のために外国語に触れる環境は自分で作り出すこともできます。
ネットやSNSを活用しましょう。外国語に触れる環境として、自分が好きな趣味のSNコミュニティなどに参加してみるのはいかがでしょうか。
もともと自分が興味のあるものであれば話も取っ付きやすいですし、何より同好の志であれば、会話もチャットも弾みやすいことでしょう。
同好でありながらの異文化に触れるのも楽しそうです。勉強とは別にしてもきっと続けられると思いませんか?
語学習得の王道は留学か?
語学の勉強をするのであれば、現地へ行くのが一番手っ取り早く感じられますよね。しかしそれは本当に最上の方法なのでしょうか。
留学の機会が得られるのであれば(経済的、時間的に)行ったほうが良いでしょう。
ただし、大人の留学であれば、「とりあえずしゃべれるようになる」ために行くよりは、ある程度の語学力をつけてからのブラッシュアップ、最後の仕上げくらいのつもりでの留学の方が賢明です。
つまり、右も左もわからない状態で留学しても周りで起こっていることを把握できるようになるまでに時間がかかり、結局右と左がわかるようになっただけで留学が終了してしまったりします。
ある程度の語学力、会話力、知識を身に付けてからの留学であれば、即、実践的に会話の練習もできますし、ある程度の操作能力があってこそ、自分のわからない部分は人に尋ねることもできます。
語学操作の応用に励んで語学の力をぐんと伸ばすことができるのです。この方が留学修了後にはかなり目的に近づけているはずです。
ただし留学はしなくても語学は身に付けることはできます。
言語学習ツールを有効に使って語学力をつけ、あとは各種検定類でわかりやすく、身に付けた語学力の証明をしておきましょう。
そうしていると、その語学力に応じた語学を活用する場も与えられるようになります。そのためにはそれなりもアピールも必要ではありますが。
語学を勉強しても、それを活かす部署などがない、またはあったとしても配属のチャンスがないなどはまったくNGな言い訳です。
自分自身から適所に移るための行動に出てもいいわけですし(例:転職活動など)、何よりも万一チャンスがあった場合に力不足で逃さないように、またチャンスを自分の方に転がり込ませるためにも力を蓄えておきましょう。
たかが語学、されど語学。大切なのは知性と教養
語学ができたらより充実した人生が待っているのでしょうか。
そのはずです。ですが、その勉強して身に付けた語学力を活用するのはあなたという一人の人間です。
語学力として、多数の単語を覚えて語彙力、作文を訓練しての文章構成力は身につくことでしょう。
「言葉は身の文」と言いますが、これは日本語でも外国語でも同じです。話す人の、または各人の品位が言葉には現れるといいます。つまり語学は勉強で身に付けられますが、言葉にはその人の知識レベルや、知恵に合った言葉が自然に出てくるものなので、知性や教養がないと語学の活用も知れているということになってしまいます。
ということは話すための、書くための中身、人を引き付ける話をする(書く)知性も必要になります。この中身がないといくら単語や構文ベースでの語学力をあげても空回りしてしまいます。
ではこの知性や教養の部分はどうしたらよいものでしょうか。
意外と手っ取り早く獲得できる話のネタですが、新聞を読んで時事関連にひととおり明るくなりましょう。それから映画鑑賞もお奨めです。
まず新聞を読むことですが、地域性もあるとはいえ、世界共通で関心の高い話題も多いです。
関心を持っている人が多い話はしていて当然のように思われると考えておきましょう。知識として知っていること、プラスそれに関しての自分の意見も持てるくらいには考えてみましょう。
次にお奨めなのは映画を観ること
映画鑑賞ほど異文化やコミュニケーションを学ぶ基礎として有効なものはないと言っても過言ではありません。
言葉の学習としても有効ですが、それ以上にその言葉の背骨になるような文化や背景が潜んでいたりします。 同じ言葉を発するのでもその背景に裏付けされて発される言葉と、機械的な翻訳とが全く異質であるように、映画で使われる言葉は生きています。
異文化や他言語を学ぶ学習教材としてこれほど優れたものはありません。
おまけに映画は、共通の話題にも成り得ます。
日本はそのチケットのお値段のせいか、映画館に行く人口はさほど多くありませんが、日本以外の国では映画カンマで足を運ぶ人口の割合はずっと多いのです。
海外の方も一緒の何かの集まりに参加するときに最近の映画を観ておく、また相手国の代表作のような映画を鑑賞済みであるとかなり話題に事欠かなくなります。
映画は他国の人との共通の話題になってくれるのです。
日本語でも、他国語でも、発する言葉に知性と教養を持たせるために、新聞購読と映画鑑賞のふたつは語学の勉強の一貫としてでもすぐにでも始められることですね。
実はこんなシンプルなことが語学ができるようになることへの第一歩なのかもしれません。
新聞購読が日々のルーティーンの方、映画鑑賞がお好きな方はすでにアドバンテージ有りなのではないでしょうか。
日常の知性、教養レベルを上げておいてこそ、語学にも通じていくのかもしれませんね。